2017年2月13日月曜日

130年ストーリー バンフ&レイクルイーズ

フェアモント・バンフ・スプリングス・ホテル



メインロビー




マウント・スティーブン・ホール(ホテル内)



ホテルからの景色(ホテル内、アルバータルーム前の通路)


フェアモント・バンフ・スプリングス・ホテルの遠景


今回はバンフとレイクルイーズを少し違った角度から紹介します。

<カナダ太平洋横断鉄道の開通と東西文化の交流>
バンフとレイクルイーズは鉄道の開通からはじまりました。
19世紀のおわり頃のことです。
カナダの大西洋と太平洋を結ぶ大陸横断鉄道は国を
あげての大事業、アメリカ合衆国との 領土の取り合いもあり
北緯51度を死守しながらの建設でした。
大陸横断鉄道は1885年に開通。これによりアメリカとカナダの
国境は北緯49度に引かれ、 また、この鉄道開通により
カナダ東部から人や物、そして文化がいっきにカナダ西部に
押し寄せました。

<世界旅行をするヨーロッパのお金持ち>
当時、英国の貴族やお金持ちたちは半年から1年の歳月を
かけてアジアやインドを目的地にした世界一周旅行をしていました。
しかしヨーロッパからアジアへ向かう船旅は、 北米大陸が
その航路を阻んでいたため、北極海まわりを余儀なくされていました。
そこに目をつけたのが大陸横断鉄道を経営していたカナディアン・
パシフィック社(CP社)です。

<新世界と北米のアルプス>
CP社は貴族やお金持ちたちに北極海まわりの船旅でなく、当時、
ヨーロッパでは「新世界」と呼ばれていた北米大陸を鉄道で観光しながら
移動する旅行を企画して、英国を主とするヨーロッパ各地で大きく
宣伝をしました。その鉄道の旅の中で最大の売りとなったのが、当時、
「北米のアルプス」と呼ばれていた カナディアンロッキーの滞在でした。

ヨーロッパの貴族やお金持ちたちは大陸横断鉄道の旅に大きな関心を
持ちましたが、 ヨーロッパでは新大陸の情報がまだ変少なく、
特に西部やロッキー山脈は野蛮で危険きわまりないという噂ばかり
聞こえていました。

CP社は貴族やお金持ちたちから安心と信頼を得るために、路線の
要所々々に豪華なホテルを建設。特にカナディアンロッキーには力を入れ、
バンフとレイクルイーズに大金を注ぎ込み、大量の資材と人材を使って
巨大な木造のヨーロッパ風ホテルを建設しました。バンフスプリングス
ホテルとシャトーレイクルイーズホテルの誕生です。

<険しい大自然の中での優雅な滞在>
この施策は見事に成功し、貴族やお金持ちたちがたくさん豪華な列車に
乗ってカナディアンロッキーに訪れました。
特に温泉が発祥となったバンフは湯治場として大変もてはやされました。
貴族やお金持ちは約1ヶ月から2ヶ月間カナディアンロッキーに滞在した
といわれてますが、その間、湯治をはじめ釣りやハンティング、
楽器演奏や絵を描くなどの芸術活動をし、日々、ヨーロッパとかわらぬ
豪華な食事をしながら、険しい大自然の中で優雅な滞在を楽しみました。

<大自然をそのままの姿で残そうという概念>
そして同じくしてこの頃、ランドスケイプ(土地景観)と野生動物の
健全な生態系の保全の概念が生まれ、
バンフはスパリゾートから保護地区として姿を変えようとしていました。
それがカナダ最古の国立公園、バンフ国立公園の誕生となりました。

ぜひバンフ国立公園にある伝統と格式のあるフェアモント・ホテル
(旧カナディアン・パシフィック・ホテル)をご利用ください。

皆様のお越しを心よりお待ちしております。

フェアモント・レイク・ルイーズ・ホテル

ホテルからの景色(ホテル内ミーティングルームから)